寺院紹介

「帰命山 延命寺」

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延命寺の創建の年代・開山・開基はともに不詳。伝によると、執権北条時頼夫人の身代り地蔵尊をまつる。いつの頃か安養院(鎌倉市大町・浄土宗名越派)と法縁関係になり、安養院から専蓮社昌譽能公上人(天文4年・1535年寂)を中興開山に迎え、帰命山西向院延命寺(きみょうざん さいこういん えんめいじ)となった。江戸中期には、赤穂浪士のひとり岡嶋八十右衛門の子息が住職をしていたとも伝えられる。

◎本尊 阿弥陀如来坐像(寄木造 70㎝強 漆箔 上品上生印の阿弥陀如来) 

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作者・年代等不詳。首部内側に「運慶作」、面部内前面に「昭和十二年奉修理」と墨書があるが、室町時代後期であろうと推測されている。慶派法橋が閻魔堂の十王像を制作した際、多少の余材が出た。この材を用いて阿弥陀像を制作安置したので「木あまりの弥陀」とか「日あまりの弥陀」とか称されるようになったと伝えられている。    

 ◎聖観世音菩薩立像

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 木造37㎝ほどの立像で、厨子に入って安置されている。現本尊の脇士としてではなく独立して祀られていたものであり、鎌倉三十三観音巡りの第十一番とされている。江戸期と推測されている。 

◎地蔵菩薩立像(寄木造 玉眼嵌入 胡粉彩色 156㎝)

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裸形の像で、通常は宝物の法衣及び袈裟を着用。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、双六盤の台座に直立している。伝えに、或る時北条時頼公夫人が家臣(別本には時頼公)達と双六を楽しんでいたが、賭け勝負となり、負けた者は盤上で裸になる約束となった。結果、運なく夫人が負け、まさに裸にならねばならぬとき、信仰していた地蔵尊に「われを助けたまえ」と念じると、不思議やありがたや、地蔵尊が「身代り」として裸形となって双六盤上にお立ちになり、難を救われた・・・とある。 鎌倉二十四地蔵巡りの第二十三番とされている。  

◎古狸塚(こりづか)

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 江戸時代の終り頃、この寺に住みついていた狸がよく人に慣れ、酒好きな住職のために町に酒を買いに出たりして、町の人々にもかわいがられていた。嘉永2年(1849年)その狸が死ぬと墓を建て、供養したと伝えられている。墓地内本堂の背後にある。

延命寺 當間 伸行