今月の言葉(掲示伝導)

「今日は二度と来ない」

 歳々年々、人同じからず。人は必ず老いていくものです。小から壮、壮から老へ、人生は足早に去っていきます。

今日という日は一回、二度とこない。誰でも知っていることですが、そう気にしつつ毎日を送る方は少ないのではないでしょうか。

 かくいう私もその一人、子どもは日に日に体、頭脳ともに成長し、学齢を重ねていきますが、成人した私たちは、見た目もあまり変化が起こらず、自覚しづらくなっています。お寺の行事に、お稚児さんとして参加していた子どもたちが、ある日、高校生や大学生になって目の前に現れると、喜びとともに、月日の流れの速さに愕然としてしまいます。私はこの子たちと同じだけの時間を過ごしてきたが、果たして同じだけ精進し成長していたか、自問しないわけにはまいりません。これまでどれだけのことが出来たか、そして何をすべきだったのかと。

 仏教の教えに、戒・定・慧の三学があります。平たく言えば、決まりを破らず(戒)、決まりを破らないために精神的に安定し(定)、安定することで智慧が生まれる(慧)という教えです。その智慧があれば、一日の生活に無駄が無く、自分がなにをするため、この世に在るのかを覚(さと)ることも出来るのでしょうが、これが難しい。きまりを破らないことだけでも、そう杓子定規に生きるのは困難なものです。

 法然上人は、当時最高学府だった比叡山で、「智慧第一の法然房」と讃えられていました。しかし自身を「三学の器に非ず」とし、覚りを得ることの出来ない、心の弱い人間が救われるには、「南無阿弥陀仏」をとなえ、阿弥陀さまの慈悲に頼る他はないと説かれました。

 そして念仏は、易しく誰でもできるから素晴らしいと、「難しいことが優れている」と思いがちな我々の目を、覚まさせてくださったのです。

 確かに、努力して結果を得ることは人を昇華させます。しかし、全ての人がなかなか同じようには出来ないのもこの世です。今日という日は二度と来ず、誰しもふり返れば後悔が残るでしょうが、それを活かしきれないのも、私たち凡夫の性なのです。何事も、自分を過信しがちな私たちですが、阿弥陀さまにおすがりし、誰にでもできるお念仏をとなえて参りましょう。

三浦組新善光寺 清水道善