寺院紹介

「良忠寺と福神漬と身代わり地蔵」

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昔々あるところに、まごべえさんという人がいました。まごべえさんには、一人の男の子がおりましたが、お母さんはその子の出産の時に亡くなってしまいました。 男の子の名前は、寅吉といいました。

 その寅吉が少年になった頃、お父さんは二人目の奥さんと結婚しました。しかし、そのお母さんは先妻の子である寅吉が邪魔になり、まごべえさんが留守の時、煮えたぎる大きなお釜の中に寅吉を投げ落とし、寅吉を殺してしまいました。継母は寅吉の死体を馬小屋のワラの中に隠し、知らん顔をしていました。

 夕方になり、まごべえさんが誰かと楽しそうに話しながら帰ってきました。継母が見てみると、そこには先ほど殺したはずの寅吉が立っておりました。驚いた継母は慌てて馬小屋に行き、ワラをどかして見ると、そこには一体のお地蔵さんが横たわっていました。それを見た継母は、自分のした事が大変恐ろしい事だとやっと気づきました。継母は、まごべえさんと寅吉に自分の犯した罪を詫び心から謝りました。

しかし、それだけでは寅吉があまりにも可哀そうだという事で、江戸日本橋にあった漬物問屋の大木商店に寅吉を奉公に出し、まごべえさんと継母は諸国巡礼の旅に出る事にしました。そして、馬小屋のワラのしたにあったお地蔵さんを良忠寺に奉納しました。以来、近隣の人々はそのお地蔵さんを「身代わり地蔵」と呼び、厚く信仰しました。心病む人はお地蔵さんに手を合わせ、病気の人は自分の身代りにと手を合せました。

 さて、奉公に出された寅吉はたいそう頭が良く、大変よく働きました。それを見ていた漬物問屋の主人は自分の娘のお婿さんに寅吉を迎えました。それ以来、その漬物は代々「大木寅吉商店」と名乗りました。

やがて時が経ち、初代から数えて9代目の大木寅吉の時、漬物を作る時に出るカスを7種類集めて、新しい漬物を考えつきました。7種類だった事から、七福神にあやかり、福神漬と名付けました。

 ちょうどその頃、日清日露の戦争があり、軍隊の保存食に適している(名前も縁起が良い)という事で、日本軍により大量に買い上げられました。お陰で大木寅吉商店は大いに儲かりました。9代目の主人、大木寅吉は大変喜び、こうして今が有るのも、初代の寅吉のお陰であるという事で、良忠寺境内にあった、商売の守り本尊の如意輪観音を奉る観音堂を全面的に改築し、代々の寅吉の墓を近くに建立しました。

 しかし、その後第二次大戦で日本橋周辺はひどい空襲にあい、大木寅吉商店一家は行方知れずとなってしまいました。

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 時が経ち、良忠寺には「身代わり地蔵」と如意輪観音、観音堂、大木寅吉の墓だけが残り、当時を偲ばせています。

京浜組 良忠寺 森本有史