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「深谷山 専念寺」

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専 念 寺 略 縁 起
深谷山青陽院専念寺と号し浄土宗、当寺の前身は平安朝頃の草創、福泉寺と言い真言宗。現在地の西五百米に、堂山と称する丘があり、そこが福泉寺の堂跡と伝えられる。
 永禄年間(今より約四百年程前)時の住職長順法印が浄土宗の感譽存貞上人の教を聞き、直ちに浄土宗に帰入し、自らは念仏を弘める為に、福泉寺を感譽上人に差し上げて全国行脚に出られた。上人は福泉寺を現在地に移すと共に寺号を一心院専念寺と改め、その後また青陽院専念寺となった。
 本尊 薬師如来、行基菩薩の作、鎌倉権五郎景政の守本尊を安置す。前九年の役(約千五十年前)の合戦中、敵将鳥海弥三郎の射た矢が景正の左眼に中つた。辛うじて矢を抜き取つたが、後の苦痛が甚だしく耐えられない程であつた。景政心をこめて故郷の薬師如来に祈願した処間もなく苦痛は和らぎ眼疾は治癒した。景政の領地であつた当寺にその仏像が納められ、今日迄眼の薬師として近在に有名である。
 当初は堂内に御祭りしてあつたが、後に宮殿内に納め、秘仏として扱うこととなる。戌年秋(十三年目)毎に開扉され、近郷よりの参拝者が境内に溢れる盛況である。
 因に西隣に祭られてある三嶋神社は景政の廟跡と伝えられる。

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【本尊と仏像】

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正式名称 薬師瑠璃光如来
作  者 行基・伝
建  立 天平十年(七三八)
東方浄瑠璃世界の教主で、そのことは「薬師瑠璃光如来本願経」に説かれている。
薬師如来を信仰すれば、衆生の人格を高め、衣食住を豊かにし、病苦・災難を除く、という十二の大願を立て、人々を病苦などから救済すると、常に東方浄瑠璃世界にて念じています。病苦といっても、体の疾患による病気もあれば、心の病気もあります。薬師如来が左手に薬瓶・宝珠を持っているのは、この中に人びとの病を治す薬が入っているからです。右手は、上に上げて五本の指を伸ばし、外に向けて施無畏印を結んでいます。施無畏とは、何ものをも畏れることのない力をあたえるということで、徳をほどこし、畏れを取り去りたいと常に思っているのが、薬師如来です。いわば、薬師如来は心の病・体の病を治す偉大な力を持っていることから、医王と呼ばれています。
当山には二体の薬師如来坐像が安置されています。本尊は十二年に一度、戌年に開扉される秘仏ですから、常には前立像が礼拝の対象として置かれています。
本尊は、像高三八センチ、寄木造で玉眼をはめ、漆塗り。作風から、地方仏師の作と考えられます。
前立像は、像高六八センチ、寄木造で体部は量感があるものの、本尊と比べると時代は下がりますが、それでも室町時代をさがることはないと考えられます。

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阿弥陀如来坐像(上品上生印)
天保二年(一六八二)嘉左衛門・作
像高二七・五センチ、寄木造、玉眼、漆箔
阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主で、浄土宗徒にとって信仰の対象となっている仏さまです。阿弥陀如来は「今、現にましまして説法したもう」仏として、古くから信仰されてきました。

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十二神将像

薬師如来は脇侍として日光菩薩と月光菩薩、それに十二神将を従えています。残念ながら当山には日光・月光両菩薩は居ませんが、十二神将は揃っています。十二神将とは、宮毘羅(本地は弥勒菩薩で子神)、伐折羅(本地は阿弥陀如来で寅神)、迷企羅(本地は勢至菩薩で丑神)、安底羅(本地は観音菩薩で卯神)、頞頥羅(本地は如意輪観音で辰神)、瓓底羅(本地は虚空菩薩で巳神)、因陀羅(本地は地蔵菩薩で午神)、波夷羅(本地は文殊菩薩で未神)、摩虎羅(本地は大威徳菩薩で申神)、真達羅(本地は普賢菩薩で酉神)、招杜羅(本地は大日如来で戌神)、毘羯羅(本地は釈迦如来で亥神)の十二人の神をいいます。
また中央に客仏ながら、不動明王が鎮座しています。

【行事・その他】

専念寺とお開帳
  専念寺の本尊薬師如来は、鎌倉権五郎景政の守本尊で、目の病気に大変霊験あらたかな仏様として「深谷目薬師」の名で呼ばれ、近在に有名です。普段は秘仏として宮殿の中に納められており、十二年に一度だけ開扉されてお参りすることができます。「お開帳」の名で親しまれている開扉法要は、十二年毎戌年に開催されます。
双盤念仏
  専念寺には昭和五十九年に横浜市無形文化財の指定を受けた「双盤念仏」が伝えられており、お開帳や十夜法要に勤められています。双盤念仏というのは、釣鉦鈷の変形した双盤という楽器を打ち鳴らしながら、節をつけて唱える念仏のことです。専念寺に伝わる双盤念仏は深谷流と呼ばれています。

港南組専念寺 伊藤知道