Web 法話

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   以前、日頃からお念仏をよくお唱えされている方が、「自分が死ぬとき、苦しくてお念仏を唱えられなかったらどうしよう」と心配されていました。

  法然上人は、次のようにおっしゃっております。「人の死は、前々から思っているようにはならないものであり、急に道で倒れることもあります。大小便のときに亡くなる人もいるでしょうし、他人に切られて、命を落とす人もいるでしょう。また、火事や水害で命を落としてしまう人もいます。しかし、そのように命を落としても、日頃から念仏を唱え極楽への往生を願っている人であれば、命が尽きるとき、阿弥陀仏・観音・勢至がお迎えに来てくださると信じていられるのです。」

このように法然上人は、予期できない人間の死を現実的な目で見ており、望ましい死を迎えられなくても日頃から念仏を信じ、唱えていれば、極楽浄土に往生することが出来るとおっしゃっております。つまり法然上人は「どこで、どのように生きようとも、お念仏を唱えられるように生きることがもっとも大切である」というお言葉のように、「死に様」よりも、「日常の念仏」を大切にしていたのです。

  いつどこでどうなるか分からない私たちです。ですから、日頃から、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしていくばかりなのです。

この「ご法話」は、浄土宗神奈川教区『テレホン法話』、平成17年5月分 第856話を掲載しています。