会長日記

「鎌倉組浄土宗青年会 研修旅行」

去る1月30日(月)~31日(火)、所属する鎌倉組浄土宗青年会の研修旅行に参加しました。総勢10名で三河・尾張の浄土宗寺院を参拝いたしました。

当日は天候に恵まれ、新横浜から新幹線、JR東海道線、第三セクター鉄道を乗り継ぎ、3時間ほどかけて午後1時、最初の参拝先である岡崎大樹寺に到着しました。

大樹寺は文明七年(1475年)創建、松平家・徳川家の菩提寺です。

風格のある山門です。寛永十八年(1641年)、三代将軍家光によって建立されました。

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現在の本堂は安政四年(1857年)の再建です。間口15間、奥行13間の大きな本堂ですが、安政二年に焼失した元の本堂はもっと大きかったそうです。

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徳川家康の座右の銘「厭離穢土 欣求浄土」が本堂内に掲げられています。

桶狭間の合戦に敗れた家康(当時は松平元康)は、菩提寺である大樹寺に逃げ込み自害しようとしましたが、当時の住職登譽上人はこの経文で、「戦国乱世を住みよい浄土にするのがあなたの役目です」とさとし、思いとどまらせました。家康はこの八文字を旗印に掲げ、終生座右の銘としたそうです。

奥には、松平八代の位牌、等身大といわれる徳川歴代将軍の位牌をはじめ、さまざまな宝物が収められています。

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 向こうに見える門は大樹寺の総門ですが、(現在は大樹寺小学校南門)その中に岡崎城の天守閣が見えます。三代将軍家光が山門から岡崎城を望めるよう伽藍を配置したそうです。以来この眺望を遮る建物は建てられていないそうで、岡崎市民の歴史を尊重する思いがうかがえます。

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続いて参拝したのは「荒井山さん」と呼ばれている九品院です。大樹寺から10分ほど歩いたところでした。

文政年間(1818~1830)に、一生横になって寝ることのなかった念仏行者・徳本上人(とくほんしょうにん)の弟子、徳住上人(とくじゅうしょうにん)が創建しました。

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簡素な門です。 九品院は、俗世を離れ、法然上人の専修念仏を身をもって実践し勧めていこうとした「捨世派(しゃせいは)」の流れを受け継いでいます。今日もなお肉食妻帯無用、質素をモットーにしています。

神奈川教区からも多くの僧侶がここ荒井山で修行して、神奈川に戻って活躍しています。

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境内はこぢんまりとしていますが、すみずみまで掃除と手入れがされています。お迎えくださったご住職が、「うちは一に掃除、二に掃除」とおっしゃっていました。

ご住職からさまざなお話を頂戴しましたが、その中で「我々が行をする姿をお見せすることが教化に必要だと思う」という言葉が特に心に残っています。

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二日目は名古屋市東区にある建中寺を参拝しました。

慶安三年(1650年)、尾張徳川家第二代徳川光友が創建し、現在に至るまで尾張徳川家の菩提寺をつとめています。

境内の広さは約五万坪(165,000㎡)、境内には幼稚園と浄土宗門の学校である東海学園があります。

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本堂です。間口28メートル、奥行25メートル、建坪210坪(700㎡)と名古屋市内の木造の本堂としては最大だそうです。

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経蔵です。十三宗の開祖の木像を周囲に、中央の塔に一切経五千八百巻が収められています。塔は回転式になっており、回せば一切経を全て読んだと同じ智慧が得られるそうです。皆で回させていただきました。

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建中寺の本堂前で記念写真を撮りました。そのあと熱田神宮を参拝し、名古屋城を見学して帰路につきました。

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この研修旅行を通じて、見識を高めることができたのはもちろん、同じ組の気の置けない仲間ととあらためて親睦を深め、気持ちもリフレッシュすることができました。

神浄青第20期会長 當間伸行