「見光山 眼性院 大念寺」
月曜日, 1月 23rd, 2012 Posted in 寺院紹介 | Comments Off「見光山 眼性院 大念寺」(けんこうざん げんしょういん だいねんじ)
開基「佐藤出雲守信辰」が開山「本蓮社源譽哲道上人」を迎え明暦の初めの頃に五十坪のお堂を建立したのが当山の最初であると伝えられています。確かな事は不明であり当初の過去帳は明治の火災によって焼失したと考えられます。
現在は道路拡張の為檀信徒の墓全てを改葬し新たに墓地整備行・大殿並に山門・観音堂も平成十八年春に落成慶讃法要の式を当山十九世善譽諦生上人によって行なわれ今現在に至っております。(先代上人は平成十九年に正念往生いたしました。)
本堂内の仏像や天蓋はすべて修復をし本堂に安置しております。
ご本尊阿弥陀如来像は、平安時代の仏師「定朝」の作と伝えられています。定朝仏師と言えば宇治の平等院の阿弥陀如来像などで名高い平安時代の仏師を代表するお方で有ります。
また、脇座には千手観音菩薩・如意輪観音菩薩・地蔵菩薩・半跏像地蔵菩薩像が安置しています。脇座のお像は作者不明です。
中郡組 小山英紹
「廣養山 直到院 正福寺」
月曜日, 12月 5th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off廣養山・直到院・正福寺、開基は小田原北条氏に仕えた加藤傳太郎廣信(永禄2年(1559)7月朔日没)、開山・善譽白受上人、(天正18年(1590)9月28日卒)により天文元年(1532年)建立。
本堂は慶長3年(1598)に初めて再建された。その後元禄8年(1695)に、2度目の再建があり、現在の本堂は、3度目の天保11年(1840)に再建された桁行6間半、梁間4間の建物である。元和8年(1622)芝増上寺の末寺となった。
本尊は木像阿弥陀如来像で、江戸時代前半の造立である。木像善導大師座像及び法然上人座像は、江戸時代の造立である。
高座組 上田真彦
「澤泉山 西向院 蔵田寺」
金曜日, 9月 16th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off蔵田寺は戸塚駅と大船方面を結ぶバス通り沿いで、その道路の向側はJR東海道線・横須賀線の線路があり、更に日立の工場群が並立する場所にあります。元亀元年(一五七〇年、四四〇年前)の創建と伝えられ、開山は法譽祖道上人(慶長二年四月十八日寂、一五九七年)で、現在第二十五世です。
その当初は草庵であり、場所も現在地ではなく、山向こうの谷戸にあったとされていますが、第二世中興心譽伝了上人(延宝八年六月寂、一六八〇年)代に伊勢国より移住し、定着しはじめた「伊勢屋」といわれた戸塚宿伊勢屋中出與右衛門與休の発願寄進により一寺となし、現在地に本堂を建立したと言われています。
当時は、弁天堂、観音堂、不動堂、地蔵堂などの建物があった様ですが、残念ながら現存する物はありません。地蔵堂は近年石造りのものが建立されました。
港南組浄青 蔵田寺 大谷宗通
「渋沢山 龍泉院 心行寺」
火曜日, 9月 6th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off当山は横浜市都筑区の港北ニュータウンにあり、
当山の創建年代は定かではありませんが開山上人の没年などから慶
ご本尊は阿弥陀如来坐像(丈三尺一寸)で元禄年間の作です。
現在の本堂は昭和53年に、
宗祖法然上人八百年大遠忌にあたる本年、
港北組 安田雄心
「摂取山浄土院東明寺」
月曜日, 8月 8th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off開創は、天正17(1589)年。
『新編武蔵風土記稿』によると、浄土真宗の僧浄円がここに住み、
慶長18(1613)年に、
家康は、その庵が東の方角にあるのを確かめると、「
本尊の阿弥陀如来は、高さ1尺6寸、鎌倉時代の仏師湛慶(
湛慶の代表作には、京都三十三間堂本尊千手観音像などがある。
京浜組 吉岡了英
「帰命山 延命寺」
金曜日, 5月 6th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off延命寺の創建の年代・開山・開基はともに不詳。伝によると、執権北条時頼夫人の身代り地蔵尊をまつる。いつの頃か安養院(鎌倉市大町・浄土宗名越派)と法縁関係になり、安養院から専蓮社昌譽能公上人(天文4年・1535年寂)を中興開山に迎え、帰命山西向院延命寺(きみょうざん さいこういん えんめいじ)となった。江戸中期には、赤穂浪士のひとり岡嶋八十右衛門の子息が住職をしていたとも伝えられる。
◎本尊 阿弥陀如来坐像(寄木造 70㎝強 漆箔 上品上生印の阿弥陀如来)
作者・年代等不詳。首部内側に「運慶作」、面部内前面に「昭和十二年奉修理」と墨書があるが、室町時代後期であろうと推測されている。慶派法橋が閻魔堂の十王像を制作した際、多少の余材が出た。この材を用いて阿弥陀像を制作安置したので「木あまりの弥陀」とか「日あまりの弥陀」とか称されるようになったと伝えられている。
◎聖観世音菩薩立像
木造37㎝ほどの立像で、厨子に入って安置されている。現本尊の脇士としてではなく独立して祀られていたものであり、鎌倉三十三観音巡りの第十一番とされている。江戸期と推測されている。
◎地蔵菩薩立像(寄木造 玉眼嵌入 胡粉彩色 156㎝)
裸形の像で、通常は宝物の法衣及び袈裟を着用。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、双六盤の台座に直立している。伝えに、或る時北条時頼公夫人が家臣(別本には時頼公)達と双六を楽しんでいたが、賭け勝負となり、負けた者は盤上で裸になる約束となった。結果、運なく夫人が負け、まさに裸にならねばならぬとき、信仰していた地蔵尊に「われを助けたまえ」と念じると、不思議やありがたや、地蔵尊が「身代り」として裸形となって双六盤上にお立ちになり、難を救われた・・・とある。 鎌倉二十四地蔵巡りの第二十三番とされている。
◎古狸塚(こりづか)
江戸時代の終り頃、この寺に住みついていた狸がよく人に慣れ、酒好きな住職のために町に酒を買いに出たりして、町の人々にもかわいがられていた。嘉永2年(1849年)その狸が死ぬと墓を建て、供養したと伝えられている。墓地内本堂の背後にある。
延命寺 當間 伸行
「箱根塔ノ沢 阿弥陀寺」
火曜日, 3月 1st, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off神奈川県足柄下郡箱根町塔ノ沢にある阿弥陀寺は、慶長九年(1604)より木食遊行僧として著名な弾誓上人が塔の峯の岩屋に籠り念仏をしていた際、当時小田原城主であった大久保忠隣が帰依して、山林二十四町余の寄進を受けたことに由来して建立されました。
山号は阿育王山放光明律院阿弥陀寺といいます。その後増上寺末の捨世寺となったことが17世紀後半の増上寺34世雲臥上人の定書によって知ることができ、19世紀後半の廃仏毀釈期に至るまで多くの浄土律僧が住していました。明治16年(1883)静寛院和宮の位牌をまつる香華院となり、増上寺より黒本尊御代仏の寄付を受け増上寺の永久別院となりました。
本堂は天明4年頃に、今の小田原市久野の庄屋の家を移築したもので、民家造りとなっています。
本尊の阿弥陀三尊(箱根町指定・重文)は、江戸本所の回向院の旧本尊を、元禄年間に回向院4世の喚霊上人が寄進したものです。
小田原組春光院 石川琢道
「正定山 小松院 霊山寺」
火曜日, 2月 8th, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off神奈川県平塚市下島にある正定山霊山寺は慶長元年(1596)に開創されました。開山は信蓮社念誉終故上人。
江戸期には境内に淡島社が建立され、淡島神を祀るようになったとされます。明治6年(1873)に本堂堂宇は火災のため灰燼に帰し、後に再建されましたが、大正12年(1923)に関東大震災で本堂は再び全壊し、庫裡も半壊しました。その後、修復が行われましたが、本格的な再建は戦後になってからでした。昭和42年(1967)、当山北側を走る新幹線沿線の工事に伴い、本堂・庫裡を再建。後に両者を増築し現在に至っています。また、老朽化著しかった淡島堂は昭和61年(1986)に再建され、現在は堂宇と針供養塔を以って地域の信仰を集めています。
中郡組霊山寺 鷲見宗信
「不捨山 新善光寺」
火曜日, 2月 1st, 2011 Posted in 寺院紹介 | Comments Off不捨山新善光寺は現在三浦郡葉山町にある。
三浦組新善光寺 清水道善
「法爾山 天然寺 阿弥陀三尊立像」
火曜日, 12月 21st, 2010 Posted in 寺院紹介 | Comments Off 天文年間に鎌倉大本山光明寺第十九世然譽禅芳和尚の創建で、
蓮社号は法蓮社、山号、寺号はここに由来している。
本尊は阿弥陀三尊立像(脇侍 観世音菩薩・勢至菩薩)であり、
さらに善導大師立像、法然上人坐像が安置されている。
本尊・阿弥陀如来像は春日作と伝えられている。善導大師像、法然上人像
はそれぞれの胎内納入文書によれば、慶長十五年(1610年)
九月十五日に當寺六代鏡蓮社上人が六百七十九人の念仏講に
逆修の為に建立された旨が記されている。
鎌倉組天然寺 関谷泰然









